パクチー銀行

PAXi bank


Specialty Coffee, Craft Beer & SOTOCHIKU Showroom

保田駅目の前の銀行跡地が、ある日、片付けを始めていました。その様子を何気なく眺めていて、ふと思いついたのです。銀行の跡地に「パクチー銀行」をつくったら、めちゃくちゃ面白いのではないかと。

お金に対する価値観は変わって来ていると思います。お金が無くなることは現時点では想像ができないですが、お金以外に価値を見出す人が増えているのは確かです。金融機関の破綻は、地域や国家の衰退かもしれません。しかし、それはお金が回せなくなったというだけの話。人口減、高齢化、さまざまな現象がネガティヴに語られますが、無くなったものがあれば生まれるものもたくさんあります。鋸南町にたまたま縁ができて2年間通い続けた僕は、「ここには何もない」という嘆きをしばしば聞きながら、希望と可能性、そして、人々が楽しむための資源が溢れていると感じるようになりました。

銀行をパクチー銀行に変えるというのは、今の時代の風潮に対抗する僕の気持ちの表現です。右肩上がりの成長をしていない、閉塞感が日本を覆っている、先が見えない・・・そんなことをメディアから聞いて、進んでネガティヴな気持ちを選んでいる人が多いと感じています。持っているお金の総額が、その人の幸福感に比例するわけではありません。楽しみは自分で見つけることができるし、笑いの種はそこらじゅうに落ちています。そんなことを思い出してもらうために、冗談としか思えないものを提示します。たまたま保田駅を訪ねて「パクチー銀行」の文字を見れば、たくさんの「? ? ?」が頭に思い浮かぶでしょう。

鋸南町にはチェーン店やショッピングモールがありません。スーパーは1軒、コンビニは3軒のみ。個人経営の飲食店はたくさんあります。思考を停止したまま消費させられる場所が極めて少ない地域です。そこに何らかの縁で降り立った人たちに、圧倒的な視覚による衝撃体験を与えたいと思います。「パクチー銀行」の看板が最初のポイントで、SOTOCHIKUにより変化し続ける内外装が2つ目の要素となります。何度来ても楽しめる、鋸南町の入口となれるよう尽力します。

親友であり、敬愛する安房のアーティストがこの構想を聞いて「新しいパブリックアートだ」と言ってくれました。パクチー銀行は、その機能を使わない人も楽しめる、一種のインスタレーションです。


「パクチー銀行」は、パクチーの種を融資するシードバンクです。今回、初めてできるものではなく、2007年1月にその歴史は始まりました。頭取の佐谷恭は、旅を通じてパクチーに出会いました。日本におけるパクチー普及のため、2005年春に日本パクチー狂会を設立。「狂会」という文字の通り、最初は半分冗談でつくったのですが、活動を続けるうちにたくさんの壁にぶち当たり、パクチーに対するパッションは燃え上がっていきました。スーパーなどではほとんど買えない時代でしたが、パクチーがそこら中に生えている状況を目指してパクチーの種の配布を開始しました。

種を配り始めてしばらく時が経ち、2006年のノーベル平和賞をグラミン銀行のムハマド・ユヌス氏が受賞しました。そのスピーチを読んでとても感銘を受けました。担保でなく信用で貸すという発想の転換。そして、彼の立ち上げたソーシャルビジネスで多くの人たちが救われました。全文を読み終わった後、なぜか「これを超える銀行を作りたい」と思いました。

担保もいらず、信用もいらず・・・返済の義務もいらない銀行とは・・・。そんな意味不明な発想を現実のものにする方法論について妄想していたら、僕自身がやっていた「パクチーの種の配布活動」がそれを実現させることに気づきました。植物の種は数百倍、数万倍になります。百人に1人でも返してくれれば成り立つんじゃないかと思いつきました。

同時期に固定種とF1種という、植物の種にまつわる問題についても知りました。小規模でも「種をつないでいく」ことがこれからの世界で必要だろうなと直感し、せっかくだから楽しみつつパクチーの普及活動をしていこうと決意しました。そして、2007年1月1日、パクチー銀行を創設し、頭取に就任したというわけです。

パクチー銀行創設後、種を誰かに渡すという行為が劇的に変化したわけではありません。ただ、渡す際に「パクチーの種あげるよ。栽培してね」から「パクチー銀行から種を融資します。返済の義務はないので安心して食べまくってくださいね」という言い方に変えてみました。

実はパクチー銀行創設前、種を受け取っても栽培しない人が結構いました。タダでもらったものにはあまり価値を感じないのかもしれません。パクチー銀行創設後は、感覚値ですが、種をまく人が増えました。そして、栽培の様子や収穫して料理したことを報告してくれる人がたくさん出てきました。

「返済の義務」はないものの、融資を受けて「何かを負っている感」があるのかもしれません。写真を撮る、友人に伝える、作った料理のレシピを公開する、などなど、パクチー銀行と僕のパクチー普及活動を行動で応援してくれる人が飛躍的に増えました。パクチー好きの方々とのコミュニケーションも増え、いつの間にか僕は、パクチー料理専門店を開こうという気持ちになりました。

そして、2007年11月20日に世界初のパクチー料理専門店「パクチーハウス」を始めてからは、年間数千人に種を「融資」するようになりました。また、2020年の新型コロナウイルスによる最初の緊急事態宣言の際に「パクチー育てる」89日間国民運動をスタートし、より多くの人にパクチーに親しんでもらう環境を目指して活動しています。

パクチーを栽培してみたい方は、ぜひ、お声がけください。

パクチー銀行頭取・インタビュー

「パクチー銀行?アーティストinレジデンス?鋸南町が今面白い!」経験と直感を活かした場づくり仕掛人

「パクチー銀行」で人と地域を盛り上げる 理想のコミュニティーを創造

その他、掲載記事などの紹介はこちらをご覧ください